12月

17日

飲みに行く。一緒に行った人が双子であるということを初めて聞いて、非常に驚く。前の日にジョン・バース「金曜日の本」を読んでいたので、啓示みたいなものまで感じる。ふたりでひとり、というような感覚。話を聞くだけでくすぐったい。

 

18日

人に会いに京都駅に行く。行ってよかった。バスの運転手さんにお茶をもらう。温かい気持ちになって帰る。

 

19日

バイトに行き、龍門で夕食。何を注文してもすぐに出てきて、本当に美味しい。人を連れて行きたくなる、良いお店。

 

 

20日

バイト先の祝賀会のため、よこちょうで飲んだ。必死で話題を振る。おしゃべりする。しゃべってくれる分には助かる、と言われてほっとする。こういうことをさらりと言える素敵な同僚がいます。おかげさまで美味しい食事になる。ごちそうさまでした。

 

 

 

21日

クリスマスパーティの日。去年の私はしないだろうなということをした。去年の私は言わないだろうなということを言った。結果、人を傷つけた。これでいいのか、本当にわからない。来年の私は何を思うのだろう?

 

 

22日

俳句会に参加する。三つ投句するも得点ならず。

 

・風と波ナイショ話をすなる夜

・でたらめなステップすべる冬銀盤

・吾子の瞳の奥に佇立すサンタかな

 

その後の懇親会に初めて参加した。普段することのない話をたくさんする。みなさん良い年のとり方をしている。どうしたら良い年をとれるのか。いろんなものを飲み込んでいるというのはあるように思う。悪いことも辛いことも、飲み込んでいる。

飲み込んだ後に消化しきっているかどうかはわからないけれど、そんなことはどうだっていい。ただただ飲み込むということがどれほど寂しいことなのか。どれほど暴れだしたくなることなのだろうか。今の私からすると、それは諦めにも服従にもとれるが、

彼らの顔に刻まれた皺はそうではないと語っているような気がしている。目の前に想像を絶する深い隔たりがある。

 

 

23日

一人で良いお酒が飲みたくなって買いに行く。今まで買ったことのないお値段の赤と、安い白を購入。カリフォルニアワイン。あとオリーブオイルも。

その後、なんとなく古本屋に。重い荷物を担いでふうふう言いながら、フォークナーと武田泰淳を購入。次いで高島屋に行き、活剣先いかと蛸を買う。

私は高島屋の地下が好きだ。好きになった。活気があって、多くの人々が関わっているから暖かい。バゲットを切ってもらって帰宅。母は電話に出なかったので、見よう見まねで声を上げながらイカを捌いて、たっぷりのオリーブオイルでアヒージョにした。

漫才を見ながらちびちび食べて、その後で読書。アメリカ文学とワインは合わないな、と思いつつ酩酊。

 

24日

すこしヘーゲルを読む。知覚の章を読み終える。友人に説明しようとしたができない。相変わらずまったくわかっていない。

浮かれ切った河原町を突っ切って、普段通りやよい軒でチーズハンバーグを食べる。付け合せの男爵いもがハートの形でほっこりした。川沿いを南下して帰宅。昨日の残りを肴にワインをやる。もう少し鷹の爪を入れたほうが良かったか。

 

 

25日

バイトに行く。面談をする。来年も頑張ります。

夕食はカヌレというカフェバーでローストビーフサンドイッチ。壁がワイン色で、おしゃれな調度品と白鳥湖のワルツが何かを主張する。

私の中の吉田健一が「全ての言葉は詩である」というようなことを言っていたという話になる。「牛を見て"ushi"と呼んだやつがいて、ワッハッハ!わかる!あれ"ushi"って呼びたかってん!ってなった」という想像と、「現代においてスピッツが良い歌詞を書いて、わかる!恋してる時ってこういう気持ちだよね!ワッハッハ!」ってなる現象の間に相似が認められませんかというようなことを話す。それに関して友人は、"互いに違うものを一つの概念としてくくるのが、言葉の働きである"とニーチェが言っており、と返ってきた。

会社で紅茶を飲むことになって、電気ポットでお湯を沸かしに別の階に向かう。

すると電気ポットのふもとでパーティのようなことが繰り広げられており、体が硬直し始める。お湯が沸くまでの間、ずっとここにいるのは危険だと判断した私はポットを仕掛けてから自分の階に戻る。深呼吸をして、しばらくしてからポットを取りに戻る。

 

まだ湧いていない。

 

待つ。待つ。待つ。その時間は永遠にも感じられた。すぐそばで(特別仲良くはないが仲悪くは決してない)同僚が雑談しているだけのことなのに、足がガクガクして、心臓はバクバクした。ポットの中の水が一秒でも早く沸騰するように祈ることで、なんとか目の前の空気の圧力から逃げようとしていた。あまりにも強く念じていて、水を暖めているのは電気なんかじゃなく、私のこの念なのではないかと思えるほどであった。

本当に年でお湯が湧いてたらどうしよう、そう思ってニヤニヤした。何故に、私は年で湯を沸かすほどに念じなければならなかったのだろうか。不思議でしようがない。

 

 

26日

眠れないまま登校し、生協で朝食をとる。スクランブルエッグ、野菜の炒め物、魚の焼いたものなどを好きに取る。人数に対して席数が多すぎて、すごく物寂しい。とはいえ適当に誰かに話しかける理由もないので、ひとりでよく噛んで食べる。

授業の後で古本屋めぐりをした。京都ま冬のブックハンティングなる催し。素敵な装丁のJ・L・ボルヘス「創造者」と、丸谷才一「輝く日の宮」を購入。

昼食に、夢を語れで飽食。また授業に出て、バイトに行く。勤務後そのままソファで本を読みつつ3時間ほどうたた寝。朝も夜も山盛り食べたので、夕食はいいや。

 

 

 27日

また眠れない。お昼に友人から丸二食堂行きおさめを提案されたが行けない。来年もよろしくお願いします。

年始の自転車旅行に備えて輪行袋などを買う。特に誰にも挨拶できないまま京都を離れ実家に帰りホタテを食べる。毎年恒例でホタテを山ほど食べる日があるのです。

あまり眠れなかったので今年の振り返りを書いたりする。忘年会では話さないようなことをたくさん思い出す。

 

28日

伊勢神宮にお参りして、鳥羽でうまいもの食べてお風呂に浸かって眠る。シンプルな家族旅行。

 

29日

ゆっくり旅行気分を楽しみ、夜に帰ってきてそのまま高校の友人との忘年会へ。よく飲みよく喋る。自分の話ばかりしてしまう。

高校の友人と言いつつ、ほんとうに仲の良かったコアメンバーは出席していない。文脈としては多くを共有しているが、深いところで繋がっているとはいい難い状況がそうさせたのかもしれない。自制できなかったことを残念に思うが、年を忘れるという点においてはうまく機能したように思う。

 

30日

二日酔いがひどくて夕方まで寝る。夕食に鍋や鶏の煮たものを食べる。ポチった季寄せが届いたのでパラパラめくりながら、家族に最近俳句を詠んでいますと打ち明ける。

そのあと、連日となる飲み会。少し楽しみ、夜を徹した散歩などをする。むちゃくちゃ楽しむ。

 

31日

市場に魚を買いにいく。カニやタコやエビなどを買い込む。なんとなくいくらが食べたくなり買う。焼きたてのメロンパンを食べてから昼寝。前日ほとんど寝ていないので気付いたら寝ていた。

夕方に起き、実家に高校の友人を迎える。寿司、イカ天、エビフライ、焼き牡蠣、タコと牡蠣のアヒージョなどを食べる。近況の報告くらいで特に話らしい話はしていないが、とにかく笑った。次に会う時までに何かとがんばろうと思えた。

 

今年が終わる。